サトウ

映画とか音楽を主に。

3 感傷的な

日々自己の感性を磨き続けていたい。それを磨いてどんないいことがあるかわからないけど少しでもものや出来事に対して自分なりの見方を持っていたい。私はたくさんの音楽を聴くし、1人で映画館に行って映画を見る。また自分はこうありたい、と言うことを少しでも体現するために服装にも気をかける。カッコつけてないと楽しくない。自分が好きなことが少しでも感性を磨くということにつながっているのだろうか。ただ楽しんでいるだけなのかもしれない。まあそれはそれでいいのだが。

今日見た映画にこんなフレーズがあった。

「都会が好きになった瞬間、自殺したようなもんだよ。」

どんな意味なのだろう。よく言われる「都会に飲まれた」という意味なのだろうか。まあこの言葉が正解とは限らない。私は岐阜から大阪という都会に越してきた。ここは便利だ。少し電車に乗れば買い物にだって行けるし美味しいものもたくさんある。街が人で溢れてる。そこにはたくさんの人の人生が溢れている。すれ違う人々の人生を勝手に想像して見る。笑顔の人を見れば今日はあの人はいいことがあったのだろうかと思う。急いでいる人がいれば、寝坊したのだろうかとか。私自身を私が客観的に見るとどうなのだろう。周りからはどのように見られてるのだろう。そんなことも考えたりする。街に溢れかえる人からしたら私も都会で暮らす1人だ。周りから見たら私も都会に飲まれた1人なのだろうか。

私は5月末に21歳になった。20歳という人生の一つの節目と呼ばれる一年を過ごしてきた。一年過ごしてきて思ったことは20なんてただの数字だった、ということだ。結局やるかやらないか。年齢なんて関係なかった。変わったのはお酒やタバコができるようになったことぐらいだ。20歳は世間的には大人として扱われる始めの年だ。でも20歳でもクソガキみたいなやつはいっぱいいるし同い年とは思えないぐらいしっかりした人もいる。これでいいんだ。自分が生きたいように生きればいい。20歳になったんだから頑張る、じゃない。やる人は10代からやるし20を過ぎた頃に自分のふんどしを締めなおして頑張る人だっている。
自分の20歳はどうだっただろうか。劇的に何かが変わった!なんてことはやっぱりなかった。自分の生活を見直して見れば納得できる。でも新しいかけがえのない仲間に出会えたしたくさんのいい音楽や映画にも出会えた。些細な幸せがたくさんあった。自分は今はそれでいいと思っている。私はいい20歳だったと思っている。

いつだって楽しく生きたい。でもそれは無理なことだ。生きていれば困難にもぶつかるし、苦しいこと、嫌なことだってある。でも私はいい音楽を聴いていたいし映画を見ていたい。ラフに夜仲間と集まってスケボーをしたいし、デートもしたい。それをするために嫌なこともやるしかない。上手に生きることは無理かもしれないけど自分自身が納得できるような生き方をして生きたい。